『お菓子と麦酒』サマセット・モーム著
しかし人々は「美」に他の要素を付け加える――崇高さ、人間的興味、やさしさ、愛情など――これというのも、美だけでは長い間人々を満足させないからだ。美は完璧である。そして完璧というものは(これが人間性だが)われわれの注目をほんのわずかの間しかひかないのだ。〔中略〕思いきって事実に直面しよう――「美」はいささか退屈なものである。
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つづく
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しかし人々は「美」に他の要素を付け加える――崇高さ、人間的興味、やさしさ、愛情など――これというのも、美だけでは長い間人々を満足させないからだ。美は完璧である。そして完璧というものは(これが人間性だが)われわれの注目をほんのわずかの間しかひかないのだ。〔中略〕思いきって事実に直面しよう――「美」はいささか退屈なものである。
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つづく
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高名な医者ジーキル博士が自分の邪心そのものの人間に姿から変わることができる薬を飲んでハイド氏となる。ジーキル博士は次第にハイド氏へ変身する誘惑に抗えなくなり、薬をたびたび服用する。しかし、ハイド氏の冷酷な心は次第に薬を必要としなくなり、ジーキル博士の人格を飲み込みつつあった。
最終的にジーキル博士とハイド氏がどうなるかは読者の想像にゆだねられている。自分の望まざる性格に支配される様子は非常に恐ろしいが、それはジーキル博士の内部に自分でも対処に困るほどの悪心があった結果のようだ。
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珍しい植物、珍しくない植物の観察エッセイ。
熱が下がったわけではないが、病院へ行ったついでに、おもしろそうな本があったので、購入して、読んでみた。
植物だけでなく、イモムシや国立科学博物館で手に入る「ラフレシア」の海洋堂製フィギュアについても書かれている。
思うように育たない植物相手に一喜一憂しつつも、著者はその過程を楽しんでいる。
しかし、この中で最も驚いたのは"Bonsai Potato"だ。台の上に芽が出たジャガイモをのせ「盆栽」として鑑賞するキットらしい。生長したジャガイモの具合を競い合うコンペまで開かれている。
最後のほうには、植物園がいくつか掲載されている。子供のころよく親に連れていってもらった、大船の植物園に久しぶりに行ってみようかと思った。
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「もうすっかりわかりました。砂の中で彼がひろった銀のかなぐつ、高まる波に月が足をひたしているカレンダー、彼がねむっているあいだにきいたよび声――ムーミントロールは木立の中に立って、うみうまのおどりを見まもりました。二頭のうみうまは、頭を高くもたげ、たてがみをなびかせて、尾を長い光の波のようにひきながら、浜べをいったりきたりしてはねていました。
なんともいえないほど美しいながめでした。うみうまたちも、それを自覚しているかのようでした。彼らはいかにも魅力的で、自由にあけっぴろげに、思いのままにおどっていました。それは自分のためであり、おたがいのためであり、島のためであり、海のためでした。そのどれであっても、うみうまにとってはおなじことだったのです。ときどき彼らは、きゅうに水にとびこんで、まわりに高くしぶきをあげました。月の光の中ににじができるほどに。それから自分でつくったにじをくぐりぬけて走ってかえると、上を見あげたり、頭をさげたりして、まるで鏡の前でおどっているみたいに、首のカーブと、せなかから尾までの線をみせびらかすのでした」
(『ムーミンパパ海へ行く』から引用)
この箇所に差し掛かって、何度も読み返した。うみうまの様子は楽しそうで、情景が目に浮かぶ。月の光の中にできる虹とはどんなものだろう? 私は白い虹をイメージした。白い虹なんて、ないものなんだろうけど、決まりきった、思い込んだことに対して、改めて考えさせられるものに出会うとはっとする。
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オリバー・サックス著
『レナードの朝』の原作者
脳神経が支障をきたしたとき、奇妙な症状が現れる。
妻を帽子とまちがえてかぶろうとしたり、
「左」という概念がまったくなく、自分の体の左半分を
左半分として認識できない。そのため、化粧をするのは
顔の右半分である。
こうした症状をかかえて生活するのは非常に大きな苦労を伴う。
妻を帽子とまちがえた男は、音楽学校の先生だった。
対象物を対象物として認識できないという視覚障害をわずらってしまった。
ただ、歌を歌いながらであれば、日常生活の作業は可能だった。
患者が、この症状について忠告があったら言ってほしいと
著者に告げる。
しかし、著者は、どこが悪いのかはいえないが、良いところは言える。
これまでは音楽は生活の中心だったが、これからは生活のすべてというふうにして良いと思う。
と助言する。
欠点を欠点とせず、個性ととらえている。
自分では欠点と思っていたところも、見方を変えれば長所となりうる。
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