Arab, book: 『アラビアンナイト物語』大場正丈訳
「アラジンと不思議なランプ」や「アリ・ババと四十人の盗賊」などの波乱万丈で宝物を探し当てる物語が多い。また、つぼに隠れている盗賊に煮えたぎった油をかける残酷な話も。直接的な表現に、土地が違えば考え方、感じ方が違うのだなと思った。命がいくつあっても足りないお話ばかり。
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「アラジンと不思議なランプ」や「アリ・ババと四十人の盗賊」などの波乱万丈で宝物を探し当てる物語が多い。また、つぼに隠れている盗賊に煮えたぎった油をかける残酷な話も。直接的な表現に、土地が違えば考え方、感じ方が違うのだなと思った。命がいくつあっても足りないお話ばかり。
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「あたしにゃ、名案しか浮かばないのさ。」
ムーミンのお話に登場するキャラクターの中で最も好きなのはミーだ。天邪鬼で時々辛らつだが、相手に負担をかけないさりげないやさしさをチラッと見せることもある女の子。
ふんわり穏やかでのどかなムーミン谷で、またたく星のような存在感を放ち、天真爛漫に暮らしている。
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幻想的で冴え冴えとした挿し絵がおとぎ話の持つやわらかい雰囲気だけでなく残酷さをも表現している。
昔の物語には、現代ではあまりはっきり口に出さないことを明確に書いてある。時代を経るにつれて、時に不必要なほどに、角を取って丸くしてあるのは、居心地が悪い。
でも、
「粉屋の息子が、こんなにも早く王女の心をとらえ、うっとりとした目で見つめられたとすれば、衣服や顔立ちや若さは、相手の恋心を呼び起こすのに、かならずしも無関係な手段ではないようだ。」
これは、実も蓋もない。
「『自然』が描く美しい顔、生き生きしたようすは、『芸術』のおよぶところではない。
けれども、それらの贈り物より、『愛』が見つけだす、たった1つの目に見えない魅力のほうが、人の心をとらえる力を持っている。」
こっちのほうがいい。
このような美しい挿絵の大型本がもっとたくさん出版されればいいのにと思う。
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日常の生活において、「なんとなくそんな気がする」という理由で判断することは多い。そのような感覚を持った時、はっきりとした理由がないと本当にそれでいいのかどうか不安になることがある。本著は、その感覚は正しいと背中を押してくれる1冊である。
たとえば、ゲッティ美術館に持ち込まれた紀元前の大理石の立像「クーロス」は、ゲッティ側のいくつもの科学的な調査により裏打ちされた本物との結果に基づき購入が決定された。しかし、その道のプロに見せたところ、ほとんどの人間が違和感を感じ、その場で贋物と判断した。
ゲッティ美術館のカタログには、今でもこのクーロス像の写真が載っており、「紀元前530年ごろ、あるいは現代の模造品」と年代が記してあるそうだ。
一方で、第一印象がすべてではないとも著者は述べている。
1899年、あるロビイスト兼弁護士は1人の州議会議員候補者を一目見て、「彼は大統領にふさわしい」と勘違いしてしまった。威風堂々とした態度、整った顔立ち、くつろいだ様子などから、中身も外見と同様に整っているに違いないと思い込んでしまったのだ。
結果的に、大統領になった彼は、死後もなお複数のスキャンダルが持ち上がり、アメリカ史上最悪の大統領のひとりにかぞえられている。
第1感への後押しは、感覚そのものへの自信を深めてくれるものだが、信じすぎるのも問題ということなのだろう。ただ、その間でバランスを取るのが難しいのだけれども。これは経験を重ねて、練習をしていくしかないのかもしれない。
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歌うことが大好きで、遊んで暮らすのが一番の望みという王様がいる一方で、強い者としか手を組まず、敵にわざと親切にして油断させ仲間と切り離す狡猾な王様も登場する。
ファンタジーを語るだけでなく、時に厳しい現実に目を向けさせる要素があるところがおもしろい。
そんな中で気に入った1節。
人生のよいところはだね、物事がだしぬけに変わることにあるんじゃよ。次にどんなことが起こるか、誰にも見当がつかん。見当がつかんから、しょっちゅうびっくりしたり、おもしろがったりするわけじゃ。人生に浮き沈みがあるからといって、気を落としちゃいかん。沈んでおるときは、いずれなにかが変わってもう一度浮かび上がるだろうということがわかるし、浮かんでいる者はいずれ必ずといってよいほど沈む。わしのじいさまは、このことをよく表した歌を知っておった。もしよければお聞かせするよ。
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カリフォルニア州ロサンゼルスの
ア ッ プ リ フ タ ー ズ
〈社会の向上に献身する人々〉に捧ぐ
かれらとの交わりによって得た喜びに心より感謝して、
善意と思いやりと連帯感を通し、
真心をもって人間性の高揚につくされたその努力を讃えて。
みな立派な人々であり、
幼子のように自由な魂の持主ばかりである。
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そういう人って素敵だなと思う。
自分にはまだ高すぎる目標だけれど、背中を丸めて卑屈になりたくないから、ここに書く。
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主に出来事や出会った人々について淡々とつづっているのだが、その間からにじみ出る悲しさのようなものはぬぐいきれない。
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『オズの魔法使い』シリーズの2作目。軽やかな気持ちで創造性豊かなファンタジーの世界を楽しめる。しかし、その一方で、現実を貫くようなはっとした気持ちにさせられる文脈がある。
「『あなたたちは、二人とも、財産家ですよ』オズマがやさしくいいました。『そして、あなたたちのは、この世で持っている値打ちのあるただ一つの財産――満足という名の財産です』」
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2人の娘を愛してやまないゴリオ爺さんは、自分の生活が困窮することにもまったく気にかけず、金銭面で上流階級の男性と結婚した娘たちを助け続ける。あけっぴろげに、できる限りのことをし尽くした結果、その娘や婿たちに足蹴にされるが、それすらも甘美な愛情の印と受け取る。
臨終が近づいても、十分な時間を割いてもらえず、それでも娘の愛情をよすがとしていた。ゴリオ爺さんは自分がずっとだまされ続けたことに気がついていながらも、それを心の中で繰り返し、打ち消していた。
しかし、現実は変わらず、葬式には娘たちの嫁ぎ先の使用人が最低限の時間、参列しただけだった。葬儀費用も出してもらえず、同じ下宿にいて最後まで面倒を見た学生2人が工面した。
おろかなほどに娘に尽くしたゴリオ爺さんは、不幸なまま亡くなったと言えるのだろうか? 幸せだったとは思わないが、これもひとつの愛の形に思えてならない。いいとは悪いとかいう問題ではなく。感想は人それぞれだろうが一言、言うのであれば、とにかく哀れで悲しい人だと思う。
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時代も場所も異なる3つの物語を通して、その時々の条件により考え方や生き方に大きな違いが生まれることを明示してくれる好著。
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